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2009年1月12日 (月)

ホーランエンヤに関して

今年は島根県松江市にて12年に1度の祭り、「ホーランエンヤ」が行われます。

そのホーランエンヤについてちょっと。ってレベルじゃ済まなくなった。

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正式名称は「松江城山稲荷神社式年神幸祭」という。大阪市天満宮の天神祭、広島県厳島神社の管絃祭とともに日本三大船神事の一つといわれる。

神幸祭とは神霊の行幸が行われる神社の祭礼で、神霊が宿った神体や依り代等を神輿に移して氏子(うぶす)地域への行幸や御旅所や元宮への渡御(とぎょ)が行われる。

ホーランエンヤの場合、城山稲荷神社の神霊が阿太加夜神社へと渡御される。

ホーランエンヤの始まりは江戸時代初期と伝えられる。寛永10年(1633年)、松平直政は信濃松本藩から出雲松江へ加増移封(大名の領土を別の場所へ移すこと)され、出雲松江藩初代藩主となった。この際、松本で崇拝していた農業の神である稲荷を勧請して藩主松平家の守護神とし、その管理には東出雲の芦高神社(現阿太加夜神社)の神官松岡兵庫が任ぜられた。松岡兵庫は人格・識見とも優れた松江藩随一の祈祷の達人であり、直政が入封するより以前、堀尾氏が松江城を築くとき石垣が崩れて工事が進まなかったのを松岡氏が3日2夜祈祷を行って祟りを除いたといわれる(※)。
直政が入城から10年目の天保4年(1648年)、出雲は天候不順に見舞われ風雨が多く凶作の様相が強くなった。そこで直政は神霊を稲荷神社から本務社である芦高神社に神幸させ、出雲の国の五穀豊穣の祈祷を行わせた。松岡氏は御神霊の神輿を出雲郷まで水路でお迎えし、心身潔斎の上1週間の大祈祷を行った。この祈祷のおかげか、その年の秋は大豊作大豊漁に恵まれた。それ以来、10年、12年毎に御神幸が行われるようになった。これがホーランエンヤの始まりである。式年とはある一定の周期のことを指す。

※松岡氏の祈祷と関係があるかは調べきれていないが、松江城の石垣について面白い話

松江城の天守閣の天主台の石垣を築くことは困難を極め、人柱が無ければ工事は完成しないと工夫の間から出た。そこで盆踊りを開催して、その中で最も美しい、最も踊りの上手な少女が生贄にされた。少女は踊りの最中に攫われ、事情も解らず埋め殺された。石垣は見事に完成し、城も落成したが城主の父子が急死(父;堀尾吉春は落成の直前に逝去、子;忠氏はその7年前に27歳で逝去、孫;忠晴は34歳で逝去)した。人々は少女の無念の祟りであると恐れた。そのため、天守は荒れて放置された。直政が入城するまで、天守からはすすり泣きが聞こえたという城の伝説が残る。また、城が揺れるとの言い伝えで城では盆踊りをしなかった。(小泉八雲;人柱にされた娘 より)

最初の神幸祭から160年後の文化5年(1808)の御神幸の折、風雨が激しくなり神輿船が危険な状態になったのを、馬潟村の漁師が救い阿太加夜神社まで無事送り届けた。以来、馬潟村の櫂伝馬船が神輿船の曳き船を務めるようになり、順次矢田、大井、福富、大海崎の櫂伝馬船も参加するようになった。やがて五大地の櫂伝馬船で櫂伝馬踊りが披露されるようになり、色とりどりの装飾とにぎやかな唄も加わり、護岸には埋め尽くされんばかりの観客を集めるようになった。

1組の伝馬船団は、櫂伝馬船、総代船、化粧船、賄船の4隻で構成される。櫂伝馬船には剣櫂、采振、太鼓打、櫂かき、音頭取などがカラフルな衣装化粧で乗り、「ホーランエンヤ、エヤサーノサ」の囃子やそれに合わせた華麗な踊りを披露する。漕ぎ方、踊り、囃しは5大地で異なり、口伝で伝えられてきた。

「ホーランエンヤ」の由来は、櫂伝馬船の船上で唄われる櫂かきの掛け合いの音頭といわれている。古くは、音頭取りの「ホーラ」の掛け声に、櫂かきが「エンヤ」と声を合わせて櫂を漕いだ。この二つの詞が一つとなり「ホーランエンヤ」となった。「豊来栄弥」「宝来遠弥」とも書かれる。

御旅所へ向かう神幸祭は

①神輿などに神霊を移す神事
②神社から御旅所への渡御
③御旅所での神事、奉納
④御旅所から神社への還御
⑤神霊を還す神事

で構成され、ホーランエンヤの場合は1日目(渡御祭)に①②が行われ、2日目(中日祭)に③、3日目(還御祭)に④⑤が行われる。

・渡御祭 H21. 5/16

祭の幕開け。
城山稲荷神社での祭典後、御神霊を厳かな陸行列で大橋川河畔へお運びする。
御神霊を神輿船にお移しし、静寂のなか清目船による御祓がすむと、煙火を合図に絢爛豪華な櫂伝馬一大船行列がスタートする。
護岸に溢れる人々とともに、豊かで幸多き年であるようにと願いながら勇壮かつ華麗な櫂伝馬踊りを奉納し、約100隻、約1kmにも及ぶ大船団は約10km離れた隣町の阿太加夜神社まで向かう。
櫂伝馬の一行が、行く手を阻むすべての厄災から御神霊を守り、無事送り届けることで、阿太加夜神社における7日間にわたる大祈祷は緒に就く。

・中日祭 H21. 5/20

7日間の大祈祷の中日に、阿太加夜神社の氏子は安置された御神霊をお慰めするため、五大地の櫂伝馬を招き、櫂伝馬は境内で櫂伝馬踊りを奉納する。
声高らかな「ホーランエンヤ」の唄は神社の杜にこだまし、絢爛たる踊りは観衆を魅了する。

・還御祭 H21. 5/24

7日間の大祈祷を終え、阿太加夜神社に安置されていた御神霊が、初日の渡御祭とは逆の経路をたどって、もとの城山稲荷神社にお還りになる。
「お稲荷様のお帰りだ」と、五大地の人々は再び櫂伝馬船を繰り出し、絢爛豪華な船行列でお供をする。
やがて松江に入ると、9日間の大祭の最後を一目見ようと詰めかけた観衆の前で、全船団威勢よく一糸乱れぬ櫂伝馬踊りを披露する。そして、陸路城山稲荷神社境内を目指し、厳かな祭礼をすませ、櫂伝馬は全身全霊最後の力を振り絞り、櫂伝馬踊りを奉納し、最高潮のなか12年ぶりの盛儀は幕を閉じるのである。

 

ちなみに・・・。

ホーランエンヤと呼ばれる祭は島根県松江市のほかに広島県尾道市(旧瀬田町)、大分県豊後高田市にも存在する。
大分県のホーランエンヤは毎年正月に行われ、蓬莱船と呼ばれる船から紅白餅が投げられる。船は「ホーランエンヤエンヤサノサッサ」の掛け声と共に進み、岸から祝儀があると船から飛び降り、厳寒の中を泳いで漕ぎ手が取りに行く

参考文献

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(←ホーランエンヤ公式HP、必見)

http://www.town.higashiizumo.shimane.jp/1472.html

http://www2.pref.shimane.jp/kouhou/esque/24/menu10.html

http://hoo-lan-en-ya.com/index.html(←浜田市の小学校の先生のHP、動画あり)

以下、画像(公式HPのもの、自由使用可とのこと)

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コメント

城の石垣にそんな悲しいお話があったとは・・・。

投稿: 岡山 | 2009年1月17日 (土) 02時10分

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