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2009年2月 9日 (月)

旅のしおり

卒業旅行はイタリア・ドイツ・スイスの3カ国を13泊14日でまわってきます。

んで、修学旅行みたく旅のしおりとかを週末作ってました。楽しい作業。

いい大人が大人数で移動するため、タイムマネージメント、リスクマネージメントの初歩。みたいな捉え方なのかな。社会人に必須の能力をこの卒業旅行を通じて身に付けようとかそういう狙いがある。

どんな情報があれば旅を円滑に進めることができるのか?を真剣に考えたけどなんか独りよがりで一方的に情報を載せた感がある。

相手の機微を察知して「自分はこうしてあげたい」よりも「みなはどうして欲しいのか?」に重きを置くべきだったかなぁ。難しい。

真には理解できない相手の気持ちを察して行動するより、自分の能力で入手できる限りのカードを用意しておいて相手の明確な要求に対し逐一対応できるようにしとくほうがすき。

以下、スイスのしおりの一部を。

*****************************

スイス Switzerland

1.スケジュール

(1)▲

7:00 チェックアウト、ホテル発

13:00 Lauterbrunnen着、Lauterbrunnen駅発(ロープウェー)

13:30 Murren(BLM)着、徒歩でロープウェー駅へ

14:00 Murren(LSMS)着、発(ロープウェー)

14:20 Schilthorn着、Piza Gloria(レストラン)にて

16:00 Schilthorn(ロープウェー)

16:20 Murren(LSMS)着、徒歩で列車駅へ

17:00 Murren(BLM)

17:00 Lauterbrunnen駅着、Interlaken

18:00 チェックイン、ホテルにて夕食

 

(2)▲

8:00 チェックアウト、ホテル発

11:00 Tasch到着、Tasch駅発(列車)

11:30 Zermatt駅着

 自由行動

15:30 Zermattにて夕食

18:00 Zermatt駅発(列車)

18:30 Tasch駅着、Tasch()

19:30 ホテル着、チェックイン

 

3.治安・衛生・気候

 3-1.治安

チューリヒ、ベルン、ジュネーブ等の大都市や駅周辺は外国人(スイス人でない)による犯罪が多発しており、治安が良いとは言えません。それ以外の場所は比較的治安が良いと言われています。全体でみると人口比犯罪発生件数は他の欧州諸国並みで、日本に比べると高いです。他の地域と同様、常に「ここは日本じゃない」という意識を持って行動しましょう。

 

①窃盗

日本人観光客が会う窃盗被害のほとんどはレストランやホテルでの置き引きです。特にバイキング(ビュッフェ)形式の朝食等の際、バッグを椅子やテーブルの上に置いておいて盗まれる例が後を絶ちません。また、公共交通機関内でのスリ・ 置き引きも頻発しています。→次項参照
 買い物及び観光等の際に、車中に手荷物を置いていて車上荒らしに遭った被害も発生しています。Tasch駅の駐車場は完全に車が隠れる形のものなので安全ですが、貴重品とパスポートは必ず携帯しましょう。

②公共交通機関内での窃盗

鉄道内で、手荷物から目を離した隙の盗難被害も多発しています。その手口としては、被害者の手荷物が見えないように地図を広げて、場所を聞くふりをしている間に盗む、「トランク等大きな荷物を運んであげる。」と言って運んでいる間に中のもの盗む、「手荷物を網棚に載せてあげる。」と申し出、載せるふりをしている間に気づかれないよう盗む等の被害が頻発しています。また、日本と違い誰でも駅構内、列車中に入ることができるため、出発間際に盗みを働いて車外に逃亡し、取られた者は列車が出発した後に気付くというケースが多いので、列車の中でも貴重品は絶対に身体から離さないようにしましょう。主要都市の公共交通機関のトラム(路面電車)とバスは、比較的安全と言えます。

3-2.衛生

水道水は基本的に飲むことができます。しかし、石灰分が多いので胃腸の弱い人はミネラルウォーターを飲むようにしましょう。スイスの人は習慣としてミネラルウォーターを飲むようです。

沢水、湧き水は飲んではいけません。沢の上流で放牧が行われており、牛の糞尿と寄生虫が混じっている可能性があります。寄生虫は潜伏期間が長いものもあり、発症した際日本の病院では対応できないこともあります。

3-3.気候

標高3000m以上の場所(シルトホルンの展望レストラン、マッターホルンの展望台等)では高山病(というよりも高所酔い)に罹ることがあります。特にロープウェーなどで急に登った時は注意しましょう。3000m程度の標高での症状は以下の通り。

    ・ 頭痛(頭が重い、鈍痛、頭を振ると痛い)
    ・ 食欲がない

    ・ 吐き気がある
    ・ 放屁(気圧の低下で膨満感が強くなり、腸管内にガスが溜まる為)
    ・ 顔・手・足に「むくみ」がでる
    ・ 胸の圧迫感がある

順応(慣れ)による症状緩和は数時間では起きず、数日かかります。症状が出た場合は標高の低いところに戻るか、以下のような方法を。

   酸素吸入(展望台には酸素ボンベが常設)

 ・ 腹式呼吸(取り込む酸素量を増やすため)

4.連絡先

4-2.大使館・総領事

 

 

 

 

 

 


1

 
 

大使館
  Engestrasse, 52 3012 Bern
  TEL
(031) 300 2222

 
 

2

 
 

ジュネーブ総領事館
  80-82 rue de Lausanne 1202, Geneve
  TEL
(022) 716 9900

 
 

3

 
 

チューリッヒ名誉総領事館
  Utoquai, 55 8008 Zurich
  TEL
(044) 269 4046

 

(4) 警察 TEL 117
(5) 救急 TEL 144
(6)
消防署 TEL 118

4-3.カード会社

 JCB0800-55-6056

 三井住友VISA00-800-12121212

4-4.保険

 AIU0800-562-457

スイスの歴史

 

1.先史のスイス

アルプス北部に人間が住むようになったのは旧石器時代後期からである。紀元前15世紀ごろから、今日のスイスにあたる地域にケルト人の一派、ヘルウェティー人が部族国家を形成、東部には他にと非ケルト系のラエティ人が定住していた。

紀元前3世紀ごろ、ローマ帝国はヘルウェティー人の独立国家「ヘルヴェティア(現在のスイスの略号、CHConfederation Helveiqueから)」を滅ぼし、スイス地域を統治した。4世紀から5世紀にかけてのローマ帝国の衰退、スイスからの撤退に乗じてスイス地域に民族が流入、今日のドイツ語、フランス語、ロマンシュ語、イタリア語の言語地図が形成される。

2.同盟、スイスの誕生

12世紀に入るとヨーロッパ各地で「三圃農業」を中心とする農業革命が起き、生産性が飛躍的に向上した。これに伴い南欧では「地中海商業圏」が、北欧では「北海・バルト海商業圏」が成立する。両商業圏間での交易も始まったが、ヨーロッパを縦断するにはアルプス山脈を超える必要があった。当時のアルプス越えのルートは、レマン湖からローヌ川を上ってサンベルナール峠を越えるルートとボーテン湖からライン川を上ってサンベルナルディーノ峠(ComoからFussenへ行くときに通るよ!)を超えるルートの2つが存在したが、道は荒れ放題の上法外な通行税を支払わなければならなかった。13世紀、南北を結ぶ最短のルート、ルツェルンからアンデルマットを経由、イタリアのミラノへ抜けるセントゴッダルト峠を越えるルートが開削されると、このルートに人・物が集中することになる。よってこのルートの玄関口となるウーリ州、シュヴィーツ州、ウンターヴァルデン州は経済力をつけ、自治権を得る。(スイスという名はシュヴィーツ州が起源)

当時スイス地域は神聖ローマ帝国の緩やかな支配下にあったが、皇帝選挙に敗れたハプスブルグ家はウーリ州等の利権を狙い始めた。これを恐れた自治3州の代表は、129181日にリュトリの草原で自治獲得の為の相互援助(神聖ローマ帝国の支持)を誓約した。これをスイス原初3州といい。この誓約をもってスイスが誕生した。81日はスイスの建国記念日となっている。スイス建国の英雄、ウィリアム・テルの伝説はこの時代が舞台である。 

3.傭兵、永世中立

3州が神聖ローマ帝国を支持したことに激怒したハプスブルグ家は精鋭部隊を集めてスイス領内に侵攻したが、農民軍に打ち破られる。これによりスイス歩兵の強さがヨーロッパに知れ渡り、元々面積が少なかった上に放牧の発展により耕作地が足りず人口過剰に陥っていたスイスは傭兵をその主産業とすることになる。ブルゴーニュ戦争においてフランスに雇われたスイス傭兵がシャルル公を破ったことにより、スイス傭兵の評価は決定的になり、以降ヨーロッパ各地でスイス人同士が殺しあうということが起きるようになる。ちなみに、「アルプスの少女ハイジ」のハイジの祖父はかつて傭兵で、息子は傭兵として海外で戦死している。

この悲劇を批判しはたのは16世紀の宗教家ツヴィングリで、各国の利害の絡んむ国際社会でスイスが生き残る道は傭兵を送ることではなく完全な中立だと唱えた。この斬新な考えは当時は受け入れられなかったが、1674年にスイスは外交政策として武装中立を宣言、これが永世中立国スイスの始まりとなる。しかし、傭兵は中立とは別問題とされ以後1927年まで傭兵の輸出は続く。

バチカン市国の衛兵隊は伝統的にスイス傭兵が勤めており、現在もスイス軍で一定の経験を積んだカトリックの兵士がその職務に就いている。

4.世界大戦、永世中立のゆらぎ

2度の世界大戦の中でもスイスの中立は続く。第二次世界大戦では四方をドイツ、イタリアの同盟国に囲まれ、中立の継続が危ぶまれた。1940725日、当時スイス軍将軍として選ばれたアンリ・ギザンはスイス建国の地リュトイの草原に全部隊長を集め、同盟国軍が攻め込んできた際は都市部を放棄し、アルプス山脈に篭って徹底抗戦することを表明。また、同盟国はアルプスを越えるルートとしてスイスに価値を見出していたことから、スイス人が血のにじむ努力で作り上げたアルプス横断ルートを全て爆破することを決定した。こうした固い決意から、ドイツ・イタリアはスイスに攻め込むことを躊躇。スイスは攻め込まれないまま終戦を迎えた。

1957年、スイスは中立維持のため欧州経済共同体(EEC)への参加を拒否。また、1986年には国連、1992年には欧州経済地域への参加も拒否した。これまで何回かEUへの参加を問う国民投票が行われ、いずれも否決されているがその差は確実に縮まっている。20023月には国連加盟を問うという「永世中立」を見直す国民投票が行われ、僅差で国連加盟賛成が反対を上回った。これに伴い20029月、スイスは190番目の国連加盟国となった。

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